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コラム

日弁連副会長の不思議生活(その2)(弁護士 松田 幸子)
 (初めてアメリカに行く)
 日弁連副会長に就任して,約5か月が経過しました。私の担当業務に国際関係が含まれます。今年はその関係で私も5回の海外出張が予定されています。その第1回目として8月8日から8月13日までサンフランシスコで開催されたABA(American Bar Association)の年次大会に行ってきました。
 実は,私はアメリカは初めて,海外一人旅も初めて。不安をかかえつつ,羽田から8日の0:05発の便で発ち,約10時間のフライト後サンフランシスコ空港に現地時刻7日の17:42到着しました。入国審査時に指紋と写真をとられた経験は初めてで,やはりいい気分ではありません。それはともかく税関を出るまではスムーズでしたが,タクシーに乗って運転手さんにホテル名を告げるも発音が悪くて通じません。それでも何とかホテルに到着し(途中,車窓からまだまだ明るい中ゴールデンゲートブリッジも見えました),テレビをつけると,当然英語。慣れるためにしばらくつけっぱなしにしていましたが,DVの公開裁判のような番組でした。キャラクター兼裁判長の女性が暴力について夫に厳しく質問し,証人喚問までやっていました。「ちょっと,聞き取れるようになったかな」といい気分で就寝。
 しかし,翌日からの日程では,自分の英語聞き取りの力不足を痛感しました。UCバークレー校訪問,歓迎レセプション,国際ゲスト朝食会兼円卓会議,女性法律家表彰(マーガレット・ブレント賞)昼食会,セッション(分科会),公益活動の表彰昼食会,ヒラリー・クリントンメダル授賞式など,5日間様々なところに出ました。
 一緒に行った日弁連国際室の嘱託の弁護士さん(宮崎出身,宮崎司法修習の方です)は,大忙しで,私の専属通訳ではないので,自前で頑張らねばなりませんでした。 英語能力の限界はありつつも,印象深かったところを中心にご紹介したいと思います。

(8月8日UC(Univercity of California カリフォルニア州立大学)バークレー校訪問)
 日弁連では奨学金制度を設けて弁護士のアメリカ,イギリスのロースクール留学を支援しており,その関係で表敬訪問しました。サンフランシスコのどんよりした肌寒さ(20度C以下)と違いバークレーは日差しがさんさん,過ごしやすい気候です。担当の教授にロースクール内を案内していただき,ランチをご一緒しました。キャンパスは素晴らしく,緑あふれる広大な土地に美術館,博物館などどっしりした建物があるかと思えば,カフェやショップなども充実し,全ての生活が賄える感じです。キャンパス内の時計塔は一つの観光スポットで,ここに登り,バークレー校全体はもちろん,サンフランシスコの街並みを見渡すことができました。(もっと若く,志があれば私も留学したいほどだと思いました。)

(歓迎レセプションで着物を着て英会話?)
 ABAの歓迎レセプションが歴史あるパレスホテルであり,事前に「正装」と言われていました。「正装」と言ったら着物しかありません。頑張って着て行きました。やはり目につくので,様々な方に声をかけてもらいました。様々な国,様々な州から来られた方々と片言ながらお話して,いい気分(帰ってからショックを受けることは知る由もなく)。みな大変おしゃれをして華やかでした。最初に孫娘を連れてお声をかけてくれたブラックアメリカンの堂々たるベテラン女性弁護士,アルゼンチンから来られた弁護士ご夫婦(奥様が大変お美しかった),アジアでは,韓国,香港,中国,シンガポールの弁護士の方々などなど。ローレル・G.ベローズABA現会長(女性)やジェームズ・ R・シルケナット次期会長(男性)とも握手を交わすことができました。圧巻は途中からのジャズバンド生演奏とダンスです。一体何時まで続いたのか,べローズ会長はじめ皆ダンスを楽しんでおりました。私もお誘いをうけましたが,persons with disabilities(障がい者)であることを述べて遠慮しました。

(セッション「女性はいつになったら同等のペイをうけとれるのか?」―When will woman achieve pay parity?)
 セッションのひとつで,女性弁護士の所得格差を問題とするものでした。会長が女性ということもあって,女性に焦点を当てた企画が目につきました。経営側の弁護士になっても,女性弁護士の所得は男性弁護士の7〜8割ということで,女性弁護士が成功する方法などを議論していました。日本の場合も同じ傾向なのですが,アメリカも同じ問題を抱えています。ただ,女性弁護士が50%以上存在するからか,発言力の強さはだいぶ違うと感じました(日本はまだ17%)。

(女性法律家表彰(マーガレット ブレント賞)昼食会)
 マーガレット・ブレントはアメリカで最初の女性弁護士です。その記念のアワードが毎年あり,優れた女性法律家を表彰しています。75人のノミネートから4人の受賞者が選ばれました。
 福島県からの移民(母がドメステイックバイオレンスの被害者で不幸な結婚から逃れるため子どもを連れてハワイに逃げたとのこと)でアジアン系女性で初めてハワイ州上院議員となったマージ―・k・ヒロノさんは,受賞スピーチで,初めてハワイ州上院議員となったときのエピソードを紹介しました。「私は女性であり,移民であり,不幸な家庭で生まれ,アジア系である」と言ったら,「あなたはゲイですか」との質問があり,「ゲイではない。もしゲイであったらパーフェクト(マイノリテイ)であったが,だれしもパーフェクトではありえない」と答えたというウイットに富んだもので,拍手喝采を浴びていました。他の受賞者の顔ぶれは,女性弁護士が「レインメーカー」(高額利益を獲得すること)になるための方法を広く提供した企業系弁護士,ガンタナモ事件含め歴史的困難ケースを数多く扱い女性判事の会を創設した元最高裁判事,女性や子供の権利の前進と家族法のロースクールカリキュラム再構築等に務めた教授,自らがゲイであり,ゲイのカップルの結婚を禁じるカリフォルニア州法と闘った弁護士(女性アワードノミネートを所属事務所に伝えたら,「それはいい戦略だ」と言われたとスピーチして笑いを取っていました)。アメリカの懐の深さを感じたひと時でした。
 アメリカは基本的に移民の国であり,だれもがアメリカンドリームのチャンスがあり,成功した人を喝采する文化です。また,何かことががあると,あっという間に寄付が集まるそうです。日本のような国民皆保険もない国ですが,制度のないところを助け合いの文化が補っているのかもしれません。

(ABA評議会とヒラリー・クリントン メダル受賞式)
 チケットを取得したので(これがないと会場に入れない),ヒラリー・クリントンがメダルを受賞するというABAの理事会のようなものを傍聴しました。たくさんの意見書が様々な委員会や州弁護士会から提案され,プレゼンの後,ほとんど議論らしい議論なく議決がとられ,承認されていきます。朝からずっと続いていたらしく,13時過ぎに入ったら既に110番台(!)の案件を議論していました。子ども虐待やマイノリテイ―(社会的少数者)の人権をテーマにするものが多かったようです。
 アメリカの弁護士の仕事は日本とは違い,不動産の取引,行政への申請書,保険加入,金融申込み契約など,いわば日常的なビジネスを多く含んでいます。その中でもプロボノ(公益的)活動,人権擁護活動は非常に重視されており,人権擁護(自由を守る)と社会正義の実現という役割は日本の弁護士と変わりません。全部終了する前にヒラリー・クリントンが到着し,メダル受賞式の後ヒラリーのかなり長いスピーチを聞きました。議会制民主主義の基本である投票権の保障は重要ですが,多民族国家アメリカでは,心身のハンデや言語の問題などできちんとした判断も投票自体も困難な人々がいるようです。すべての人々の投票権実現のためにABAが行動を起こすべきであるというスピーチでした(と思っています)。日本でも最近,成年被後見人の投票権を認める最高裁判決が出て,法改正がありました。不正投票(他人に利用される危険も)を防ぎつつ,自分の判断で投票ができるようにするために,様々な問題も残っています。
 ヒラリーと握手なりともしたかった(ミーハーです。)のですが,当然SPがついているので無理でした。写真はしっかり取りましたが,あまりに広い会場であり,映像部分しかとれませんでした。

(肌寒いサンフランシスコから猛暑の日本に帰る)
 クリントンのスピーチを聞いて満足し,空港に行き,時間があったので,サンフランシスコ名物のクラムチャウダー(パンをくりぬいた中にクラムチャウダーを入れて食する方式)を食べ,サンフランシスコの地ビールも飲んで満足しました。夕刻の便に乗って,日本時間13日の午後10時頃羽田に到着しました。深夜なのに猛暑で,ニュースなどで知ってはいたものの驚きました。(しかも,帰ってからここでは到底言えない大失敗に気づきました。)さらに,調子に乗ってたくさんの方と名刺交換したため,結構な量の英文メールが来ており,対応に四苦八苦。つくづく,「勉強の必要性」と,それと矛盾する「自分の老い」を思い知らされました。

   「少年(少女)老いやすく,学成り難し」

(以上です。)


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